影武者
影武者
黒澤明
発売日:2003-01-31
おすすめ度 ★★★★☆
売り上げランキング:12544
???時は戦国時代、甲斐の名将・武田信玄(仲代達矢)は敵の雑兵の弾に当たり死去。配下の者たちは「我が死を3年隠せ」という主君の遺言に従い、彼そっくりのコソ泥(仲代達矢・2役)を信玄の替え玉に据えて難を逃れようとするが…。
???黒澤明監督が久々にメガホンを撮った時代劇で、製作にはフランシス・コッポラやジョージ・ルーカスも参加し、またカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞するなど国際的貫禄を誇る作品。黒澤監督独特の色彩センスがもっとも幻惑的に映えた作品ともいえる。しかし、当初主演に予定していた勝新太郎をクビにしたり、また黒澤映画長年の名パートナーでもあった作曲家・佐藤勝が、芸術的見解の相違から音楽を降板するなど、製作上のトラブルの絶えない問題作でもあった。(的田也寸志)
★★★★☆ 2006-10-07 若き自分との戦い
「影武者」は「乱」を作るための前哨戦という言い方を どこかで黒澤自身がしていた記憶がある。前哨戦にしては3時間になんなんとする大作であり まずこの点は敬意を表したい。
黒澤ファンとして この映画を語ることは 幾分難しい気がする。他のレビュアーの方も仰っている通り 全盛期の黒澤映画に比べると やはり 黄昏と言うべきかとも思うのだ。黒澤が持っていた天馬空を翔るといった 想像力と創造力が やはり本作においては見られない。
繰り返すが 本作品は 極めて丁寧に作られた大作であり 凡百の時代劇映画と比較すべくもないと思う。但し「極めて丁寧」は 黒澤映画にとっては 只の「必要条件」でしかありえない。「十分条件」が足りないのである。これが 黒澤の晩年の諸作の特徴だ。黒澤にとって 自分の若き日々の作品は 恐ろしいほどの桎梏になったのではないかと 今 思う。
★★★★★ 2006-09-22 盛者必衰
栄光は儚い。
一時凌ぎは、所詮、幻。
戦国の臨場感タップリ。
老臣忠臣は、消え去るのみ。
戦場シーンの迫力は、流石、黒澤。
役者の迫力は、秀逸。
歴史的名作を楽しみましょう。
★★☆☆☆ 2006-09-16 不動如山
三時間にわたってこの緊張感の持続はありえない。
空気が張り詰めた、三人の同じ容姿をもつ男が並ぶオープニングから、悲愴美のきわみといえるラストまで、ひとつの壁画を眺めている気分だ。まさしく、影武者は「絵」である。「映像」以前に「絵」として展開する。そんな気がする。
勝新太郎ファンの方、彼の「信玄」が拝めるこのDVDは買わない手はありません。感動物です。勝影武者が実現しなかったという悲劇が、より一層この映画を美しくしているのですから。
★★★★★ 2006-05-27 三人の信玄
冒頭での三人の信玄のシーン…。強烈に印象に残っている。三人の信玄は外見は似ているが実は心中はそれぞれ違うと感じた。本物の信玄は、武田家の為に、純粋に甲斐の平穏の為を願う。信廉は兄の想いを理解していながらも、兄の影を長年勤めて自分を殺していきることの苦悩を知っているが為、純粋に「家」の為と割り切ることができない。影武者は「家」というものではなく「信玄」に惚れ信玄自身の為に。そして、この三者の思惑は、武田家に縁もない影武者の行動一つに係ることになる。それだけに信廉、重臣達、そして、身分の卑しい影武者を父と呼ばなくてはならない実子・勝頼のそれぞれの苦悩と苛立ち、心の溝が伝わってくる。名門武田家にとって、いかに「信玄」という存在が重臣達と親族衆の間のかすがいになっていたかが分かる。勝手な感想ではあるが、「人は城、人は石垣…」と詠った信玄の詩の意味がこの映画を通して少し理解できた気がする。長篠などの合戦シーンは迫力があったが、それ以上にそれぞれの心を描き出している点に、ただの戦国絵巻に終わせない際だった存在意義があると思う。
★★★☆☆ 2006-03-11 二人の影武者の物語
兄である信玄を失った信廉(山崎努)は、影武者(仲代達矢)を使って信玄の死を秘匿、敵である織田家だけではなく武田家臣団までも欺こうとするが失敗する。勝頼の暴走を止めることももはや出来ず、長篠の合戦で武田軍は敗北、信廉は兄の遺志を遂げることが出来ない自分の無力と武田家の滅亡を悟る・・・。
死んだ兄の姿を再び見たい、という望みと、自分では兄の築き上げたものを守れなかった、という悲しみが、(黒沢監督の意図とは別に)私の心の中ではこの映画の主要なテーマとなっています。・・・それでいいのだ。
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